2010年03月24日

死因究明制度についての意見書

 九州・山口医療問題研究会は、医療事故防止・患者安全推進学会と共同で、(社)日本内科学会モデル事業中央事務局に宛てて、以下のとおりの意見書を提出しました。

 現在、医療に関連する死亡について、死因を究明する制度を創設しようという動きがありますが(詳しくは2009年09月29日の記事「死因究明制度シンポ」をご覧下さい。)、それに先立ち、一定の事案について死因究明を行うモデル事業が実施されています。

 モデル事業で検討された症例は、事案の概要がHPで公開されており、九州・山口医療問題研究会において、その内容を検討するという調査研究を行いました。その調査研究を元にした提言が、以下の意見書です。

 モデル事業のHPから事案の概要等を見ることができますので、ぜひそれらを参照しながらお読み下さい。

モデル事業のHP

http://www.med-model.jp/



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社団法人日本内科学会モデル事業中央事務局  御中

診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業における
評価のありかたに関する意見

                    
医療事故防止・患者安全推進学会
代表理事  谷田 憲俊

九州・山口医療問題研究会
幹事長  安部 尚志


1 はじめに

 私たち医療事故防止・患者安全学会推進学会は、医療事故を減少させ、医療の質と安全性を高め、「患者の安全」を確保し、かつ推進していくために、医療事故の原因分析並びに再発防止策等について研究をすすめ、その成果を広く社会に情報提供するとともに患者安全をめざす医療従事者の研修・研鑽に寄与することを目的として、医療従事者を正会員として2006年10月に設立された学会であり、九州・山口医療問題研究会は、医療事故被害の救済と再発防止、医療における人権の確保と医療制度の改善を願う医師・弁護士・薬剤師、その他の関係者によって1981年に設立された研究会です。
 私たちは、医療事故による死亡の原因究明・再発防止制度のより早急かつより実効的な実現を求める立場から、その先行事業としての「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」(以下、単に「モデル事業」と略記します)の評価結果報告書概要(以下、単に「報告書概要」と略記します)の検証を、共同して行ってきました。現在、公開されている68件の報告書概要のうち、これまでに37件の検証を終えた段階です。当該症例に関連する医療関係者と、医療事故紛争処理の経験を有する法律家の共同作業により、医療事故による死亡の原因究明・再発防止制度における評価のありかたに関し、一定の課題を浮かび上がらせることができたのではないかと考えています。
 検証の対象が、評価結果報告書そのものではなく、報告書概要であることの限界は当然にあります。しかし、モデル事業において一般に公開されているのが報告書概要である以上、モデル事業に対する社会的評価は、この報告書概要によらざるを得ないと私たちは考えます。


2 意見の概要

 前提として、医療行為に関連すると思われる死亡例につき解剖所見と専門的な調査分析によって問題点を洗い出し、再発防止策につなげていくという本事業の意義は高く評価されるべきものと考えます。実際に、報告書概要が公表されている症例の中には、本事業による解剖及び調査分析がなされなければ、死亡原因が不明なままになり、再発防止に繋がらないばかりか無用の紛争を引き起こしかねない事案も多々含まれています。
 以下の意見は、今後、この事業がさらに充実し、事故再発防止に有益なものになってほしいという願いを込めて申し述べるものであることをご理解下さい。

(1)基本的な情報の質・量について
 事案を適切に評価するための情報が絶対的に不足している報告書概要が多々みられます。解剖所見も含め、評価する上で必要な情報は必ず事実摘示するよう徹底すべきだと考えます。また、診療経過を時系列に沿ってわかりやすく表記するための一覧表のフォーマットを作成し、統一的に利用する等の工夫が有用と思われます。

(2)評価の方向性・相当性について
 医療行為としての適切性の評価と結果回避可能性の評価が混乱しているように思えるものや、検討過程を示さないまま適切であるとの結論のみ述べるもの等、評価の方向性・相当性が疑わしい報告書概要が散見されます。特に、診療行為の不適切が指摘されるべき場合に、敢えてその点を回避したり曖昧な記述に終始している報告書が目立ちます。このような報告書は、再発防止に役に立たないばかりか、当事者間の理解を妨げることになり、無用な紛争を惹起することにも繋がりかねません。
 中央事務局レベルで、このような評価でいいのか再検討すべきです。

(3)再発防止提言について
 再発防止提言として的を射ていないと思われる報告書概要が散見されます。中央事務局レベルで、このような再発防止提言でいいのか再検討すべきです。
 次項以下、それぞれ若干の具体例を指摘します


3 基本的な情報の質・量について

(1)診療経過の記載が少ないものが多い。診療経過が分からないと、第三者が読んでも事案の内容が分からず、再発防止には役立てられない。どこまで詳細なものを付けるかという判断はあろうが、公表資料には診療経過一覧表を付けるべきである。

(2)解剖所見は、死因と関係する部分については記載すべきである。
 解剖所見については、一見死因と関係ないと思われるものまでしているものもあれば、そもそも「解剖所見」という欄がなく、「評価」や「検討」において、死因を述べるところで必要な範囲内で引用しているだけというものもある。
 しかし、解剖の上死因を究明するというのは本制度の核心であり、少なくとも死因と関連する範囲においては、簡潔であっても解剖所見を記載すべきである。

(3)全体的に、医師自体の属性に関する情報が少ない。
 例えば事例1など、踏み込んで問題点を指摘している点は評価できるが、執刀医の経歴等の情報がほしいところである(一般論としては、過失を前提としないのだから、このような情報は不要という意見もあろうが、事案によってはそこに焦点が当たるものもあろう)。

(4)その他、3例具体例を挙げる。
 事例2:抗精神病薬による死亡が推測されているのに、薬剤名や投与量、血中濃度等、全く記載されていない。

 事例8:血管造影術中の動脈解離の事例なのに、血管造影の手技についての詳細の記載がない。

 事例11:対象病院に転院した際には既に脳症発生しており、その原因や結果回避可能性を検討するためには本来前医での詳細な経過が不可欠だが、それが明らかでないままの調査となっている(制度の限界とも思えるが)。

 その他にも、事例16、22、26、30、35、36、37、38、48、51、52、60、63などにおいて、必要な情報の不足が指摘された。


4 評価の方向性・相当性について

 3例具体例を挙げる。

 事例2:「使用された向精神薬は広く受け入れられている投与量の範囲内」とあるが、そもそも「広く受け入れられている投与量」とは何なのかはさておいても、腎機能の悪化など、通常投与量でも高血中濃度になることはある。本件ではなぜそうなったのかについての検討・評価が一切ない。

 事例4:グラム陽性球菌が認められたというだけで、レンサ球菌が分離されたわけでもなく、激症型溶血性レンサ球菌感染症かどうか不明。それを激症型溶血性レンサ球菌であるという前提で検討するのは合理的でない。

 事例17:「全容を解明することは困難だった」との結論になっているが、不適切な手技(行うべきではなかった手技)による事故であることは明らかではないか。そのことを端的に指摘すべき。

 その他、事例37、44、51、52などについて、評価の方向性・相当性の問題点が指摘された。


5 再発防止提言について

 3例具体例を挙げる。

 事例11:再発防止として激烈な脳症の病態解明が挙がっているが、遠すぎる。寧ろ週末における救急医療体制の整備の問題を中心に論ずべき事案ではないか。

 事例17:「特段の必要があってこれを行うときは、患者の循環呼吸動態 をモニター観察し病状変化に際して心肺蘇生を含む全身管理が迅速に行える態勢が必要である。また、将来の医学教育や教科書において当該手技の可否を論じることが望ましい」とされているが、端的に、このような手技を行うべきではないこと、及びその危険性を広く周知すること(医学教育や教科書といった迂遠な方法ではなく例えば医療事故収集等事業の「医療安全情報」のような形で)が根本的な再発防止策ではないか。

 事例22:回旋異常でない限り、キーラン鉗子を使用すること自体適応がないと言えそうだが、あえて使用した場合の指導体制の問題にしてしまっている。
 また、再発防止提言として「通常経過観察することが多い帽状腱膜下血腫であっても、急激な呼吸循環不全をたどる場合があることをNICU関係者に周知させることは重要である。」とあるが、それはNICU関係者であれば周知ではないか。知っている上で、何をすべきかが再発防止の提言になるのではないか。
 その他、事例26、43、44、52などについて、再発防止提言の問題点が指摘された。逆に、事例19、45、50などは、具体的に再発防止提言がなされているとして評価できた。


6 結語

 私たちは、モデル事業における評価のあり方には、上記のような問題点があると考えています。
 なお、上記に明らかなように、事案概要書における情報の不足が相当件数において見受けられます。これは、もともとの検討の際から情報が不足していたということもあるのかも知れませんが、おそらく、事案概要書を作成する際に必要な情報が落ちているのではないかと思います。プライバシーに配慮する必要はありますが、その点に十分配慮した上で、基本的には評価結果報告書そのものを公表すべきではないでしょうか。
 以上、今後のご検討に役立てていただきたく、意見を述べる次第です。
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2009年09月23日

医療基本法を知っていますか

 みなさんは、「医療基本法」という法律をご存知でしょうか。知らない、という方がほとんどでしょうね。実は、この法律はまだ制定されていませんし、いまのところ法案としても存在しません。「医療基本法を制定しようではないか」、「患者の権利を医療基本法の中に書き込もうではないか」という動きが、つい最近、始まったところです。

医療基本法とは何か
 「基本法」とは、一般に、国政に重要なウエイトを占める分野について、国の制度、政策、対策に関する基本方針・原則・準則・大綱を示した法律です。日本には、いま、私の知る限り35本の「基本法」があります。最も古いものは昭和22年制定の教育基本法(最近、抜本的に改悪されてしまいました)であり、最も新しいものは平成20年制定の国家公務員制度改革基本法ですが、35本中27本は平成になってから制定されたものです。これは、現代社会が複雑化、高度化するなかで、一定の行政分野における政策の基本的方向を定め、関係政策の体系化を図ることが重視されるようになったためだと言われています。
 基本法は、基本理念、国・地方公共団体の責務、基本計画の策定、計画・施策に関する諮問機関の設置を定めるという構成が一般的ですが、障害者基本法、消費者基本法、犯罪被害者等基本法、男女共同参画社会基本法等国民の基本的人権に直接関わる分野においては、基本理念の中で、その分野における国民の権利が明らかにされています。
 医療は、国政上極めて重要な課題であり、医療なくして基本的人権の保障はありません。医療に対する国民の不安感が高まっている今日、患者の権利を明らかにする医療基本法を制定しようという声が上がってきたのは自然なことともいえます。

患者の権利宣言から患者の権利法へ
 「医療基本法」という名前こそ最近でてきたものですが、同様の法律を求める運動は古くからあります。「患者の権利法」制定運動がそれです。
 日本における患者の権利運動は、1984年10月の「患者の権利宣言案」(患者の権利宣言全国起草委員会)発表に始まります。この「患者の権利宣言案」は、医療に関係する様々な場所、団体で患者の権利に関する議論を深め、それぞれの患者の権利宣言を採択してもらうための叩き台として発表されました。私たち九州・山口医療問題研究会も、全国起草委員会の一員として「権利宣言案」の策定に向けた議論に加わるとともに、1987年6月には研究会独自の「患者の権利宣言」を採択しています。
 患者の権利宣言運動は、全国保団連の「開業医宣言」(1989年)、日本生協医療部会の「患者の権利章典」(1991年)といった医療提供者側での成果を生み出しつつ、1991年10月には、患者の権利法をつくる会の結成及び同会による「患者の諸権利を定める法律要綱案」の発表へと発展します。なお、1990年に横浜で開催された第12回医療問題弁護団・研究会全国交流集会で権利法運動を呼びかけたのは他ならぬ九州・山口医療問題研究会であり、現在、患者の権利法をつくる会の事務局長をつとめているのは不肖小林ですが、それはさておき。
 なぜ、権利宣言運動は権利法制定運動へ発展する必要があったのか。それは、医療は現代社会における公共政策の重要課題であり、医師対患者という個別の診療契約だけで患者の権利を擁護・実現するには限界があるという認識に基づいています。国、地方自治体の医療政策が、患者の権利を擁護・実現する方向のものでなければならない。そのためには、患者の権利を、全ての医療政策の基本理念として法律で定める必要がある。つまり、患者の権利法制定運動は、そもそも医療基本法を求める運動であったと言えます。
 患者の権利法をつくる会の法律要綱案はこちらです。
   http://homepage.mac.com/kanjanokenriho/kenriho/kenriho/draft.html

患者の権利法から医療基本法へ
 1997年、薬害HIV事件を契機とするNIRA(総合研究開発機構)研究報告「薬害再発防止システムに関する研究」が患者中心の医療を確立するための「患者の権利に関する法律」の制定を提唱しました。また、2005年の日弁連法務研究財団「ハンセン病問題に関する検証会議」最終報告書も、公衆衛生政策による人権侵害の再発防止策の柱として「患者・被験者の権利の法制化」を挙げています。つまり、医療を巡る人権侵害がクローズアップされるたびに患者の権利法の必要性が指摘されてきたといえます。
 そして、上記の検証会議の提言を受けた「ロードマップ委員会」(正式名称;ハンセン病問題の検証会議の提言に基づく再発防止検討会)での議論が始まった2006年頃から、「医療崩壊」という言葉がマスコミを賑わせるようになりました。日本医師会をはじめとする様々な医療提供者側の諸団体の役員が委員として参加したこの検討会が、「医療政策による人権侵害再発防止策としての患者・被験者の権利の法制化」を、より積極的に「患者の権利擁護を中心とした医療基本法」として提言した背景はここにあります。つまり、医療を提供する側からも、自分たちが携わっている医療という仕事がどうあるべきなのか、この国は医療に対していかなる責任を果たすのかを明らかにしたいという声が上がってきたのです。
 この医療基本法の提言は、内閣府の安心社会実現会議でも取り上げられ、その最終報告「安心と活力の日本へ」は、患者の自己決定権・最善の医療を受ける権利を規定する基本法の制定を、2年を目途に推進すると謳っています。
 ハンセン病問題に関する検証会報告書は
   http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/4.html
 ロードマップ委員会の報告書は
   http://sociosys.mri.co.jp/hansen/hansen.html
 安心社会実現会議の報告書は
   http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ansin_jitugen/index.html
からそれぞれアクセスすることができます。

医療基本法の制定を!
 権利宣言運動から権利法制定運動へと続いてきた患者の権利運動は、インフォームド・コンセント理念の普及、カルテ開示の制度化、医療安全への取組強化などさまざまな成果を生み出してきました。しかし25年前から問題が指摘されていた救急医療や周産期医療の体制整備は未だ解決できないままであり、むしろ医療費抑制政策の下、矛盾が拡大しています。また、医療費の窓口負担や健康保険料は増加し続け、経済的事情から医療を受けられない人が増えつつあります。
 総選挙に勝利した民主党は、マニフェストに救急・産科・小児科・外科の医療供給体制再建、医師養成数の1.5倍増、スタッフ増員に対する診療報酬上の評価等の医療政策を掲げています。こういった施策が必要であることは、ほとんど異論のないところでしょう。しかし、忘れてはならないのは、これらの施策を実現するためには、医療に対する恒常的な財政支出が必要だということです。これは、最終的には国民の負担として跳ね返ってきます。それは、おそらくは予算の無駄遣いを省くといった弥縫策で何とかなるようなレベルではありません。公共事業、防衛といった様々な支出項目の中からどれを重視するか、どの程度のどのような形での税負担を甘受するかという価値選択の問題なのです。医療の基本理念を明確にせず、医療及び医療政策に対する国民の不信を解消しないまま、単に場当たり的な財政出動をしても、ごく近い将来に行き詰まり、揺り戻しがくることは避けられないのではないでしょうか。
 このような問題点を解決するための出発点が、医療基本法です。
 九州・山口医療問題研究会は、患者の権利法をつくる会等約20の団体と協力し、下記の要領で医療基本法制定を求めるシンポジウムを企画しています。
   日時 10月31日(土)14時?17時
   場所 愛知県産業労働センター9階大会議室902
   詳しくはこちらをご参照ください。
    http://sites.google.com/site/kenri25/
 みなさんも是非、医療基本法制定に向けての議論に参加してください。

 (小林洋二)
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2009年09月19日

弁護士報酬敗訴者負担制度反対の意見書

 少し古いのですが、当弁護団が以前に出した「弁護士報酬敗訴者負担制度反対の意見書」を掲載しておきます。


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            意 見 書

                           2003年8月29日

司法制度改革推進改革本部  御中



 当研究会は、現在、九州・山口の弁護士202名・医療関係者24名(合計226名)から構成されています。1980年の結成以来、医療における人権の確保と医療制度の改善を目的とした活動を続けてきました。医療事故相談・医療過誤訴訟といった医療被害の救済活動はその中心の一つです。
 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いに関しては、貴本部に対し、既に2002年9月30日付で「弁護士報酬敗訴者負担制度反対の意見書」を提出しているところではありますが、今回の意見募集に応じ、改めて意見を述べる次第です。


 意見の要旨

 九州・山口医療問題研究会は、国民の司法に対するアクセスを阻害する弁護士報酬敗訴者負担制度の導入に反対します。
 特に、医療過誤訴訟に関して弁護士報酬敗訴者負担制度を導入した場合、医療被害者の多くが提訴を断念する結果となることは明らかです。このような制度は絶対に導入すべきではありません。

 意見の理由

1 弁護士報酬敗訴者負担制度導入の是非に関する視点
 弁護士報酬敗訴者負担制度に関し、司法制度改革審議会の中間報告(2000年11月)は、「弁護士報酬の敗訴者負担制度は、弁護士報酬の高さから訴訟に踏み切れなかった当事者に訴訟を利用しやすくするものであることなどから、基本的に導入する方向で考えるべきである」との原則導入論を打ち出しました。即ち、弁護士費用敗訴者負担制度が存在しないことが、国民の司法へのアクセスを阻害しているという認識を前提として、それを除去するために、この制度を原則的に導入すべきだという考え方です。
 ところが、市民団体・各地弁護士会から、この認識に対して厳しい批判が寄せられたせいか、司法アクセス検討会では、「敗訴者負担制度導入の根拠は、訴訟で勝った者が権利を実現するために生じた費用を負けた者から回収できるようにするという、フェアーな原則で当たり前のこと」、「司法へのアクセスの促進が唯一の判断規準だというのが日本弁護士連合会の意見だが、公平・公正という視点は何ものにも勝る判断規準ではないか」といった意見が、導入積極論の根拠として展開されているように思われます。
 しかし、このような議論は、社会的紛争の実態を全く無視したものです。
 そもそも、紛争が発生するにはそれなりの事情があり、当事者双方に言い分があるのが一般です。敗訴当事者が、勝訴当事者が訴訟に費やした弁護士費用等まで負担すべきか否かについては、東京地裁平成13年7月6日判決、東京高裁判決平成12年10月25日、札幌地裁昭和59年9月29日判決等、いくつかの裁判例がありますが、その結論は様々であることからも容易に理解できるとおり、「訴訟で勝った者が権利を実現するために生じた費用を負けた者から回収できる」のが全ての場合に公平・公正であるとは言えないのです。
 個々の具体的事案に即してどのような結論が公平・公正であるかを最終的に判断するのが裁判所の役割です。そして、どうすればその裁判所が利用し易くなるのかというのが、この議論の出発点だったはずです。その出発点を離れて、「弁護士報酬敗訴者負担制度こそ公平・公正」といった論拠を持ち出すのは、議論として本末転倒であり、論点のすり替えに他なりません。
 弁護士報酬敗訴者負担制度導入の是非は、あくまでも司法へのアクセスの促進という視点から議論されるべきものです。

2 弁護士報酬敗訴者負担制度が国民の司法へのアクセスに与える影響
 前述のとおり、弁護士費用敗訴者負担制度の原則導入論を打ち出した司法制度改革審議会の中間報告には、市民団体、各地弁護士会から厳しい批判が寄せられ、2001年6月の最終意見は、中間意見の原則導入論から、「一律に導入すべきではない」との見解に改められました。
 しかし、弁護士費用敗訴者負担制度の不存在が、司法へのアクセスを阻害しているとの認識自体は維持されているように思われますし、ここまでの司法アクセス検討会の議論でも、このような認識に立った発言が見られます。
 このような認識は全くの誤りです。これがどれほどひどい誤りであるかは、既に多くの市民団体及び弁護士会の意見によって指摘されているところですが、私たちも重ねてこの点を強調いたします。
 一般に、ある法的紛争について訴訟提起という手段を選択するにあたって、当事者にとっての最も重要な検討課題は、勝訴の見込みがあるかどうかという問題であり、得た勝訴判決を実現できるかどうか(回収可能性)という問題です。勝訴の結論を得るために、弁護士費用を含めてどれほどの費用がかかるのか、また、どれほどの時間がかかるのかといった問題がこれに次ぎます。
 弁護士報酬敗訴者負担制度の存否、即ち、自分が負担した弁護士費用を相手方から回収できるか否かという問題は、勝訴判決及びその実現がほぼ確実に予測しうる場合のみに検討に値することです。そして勝訴判決及びその実現がほぼ確実に予測される場合において、弁護士費用を相手方から回収できないことが提訴回避の理由になるとすれば、それは請求額が弁護士費用に充たないような少額事件の場合のみでしょう。それ以外の場合、弁護士費用を相手方から回収できなくても、「提訴しない方がまし」ということにはなり得ません。経済的に言えば、それが合理的な判断です。
 しかし、実際には、紛争が発生するにはそれなりの事情があり、当事者双方に言い分があるのが一般です。少なくとも、弁護士が相談を受け、代理人として提訴する民事訴訟において、提訴前から勝訴判決を確実に予測し得る事案は、むしろ例外です。当事者は、勝訴の見込みが不確実な状態で、弁護士に着手金を支払って提訴するか否かを選択せねばならないのが普通であり、「弁護士報酬の高さから訴訟に踏み切れなかった当事者」のほとんどは、この勝訴の見込みの不確実さに後込みした当事者なのです。
 弁護士報酬敗訴者負担制度は、このように勝訴の見込みが不確実な場合にどのような影響を与えるでしょうか。現在の制度の下において、勝訴の見込みが不確実な訴訟提起は、自分が依頼した弁護士に対する着手金が無駄になるというリスクを負うことを意味しています。しかし弁護士報酬敗訴者負担制度の下では、現状のリスクに加え、相手方の弁護士費用をも負担せねばならないリスクを負うことになります。
 即ち、司法を利用することのリスクは、弁護士報酬敗訴者負担制度の導入で、確実に高まります。リスクの低い制度と、高い制度と、どちらが利用しやすいか、健全な理性にとって結論は明らかでしょう。
 即ち、弁護士報酬敗訴者負担制度の不存在が、司法へのアクセスの阻害要因として機能するのは、勝訴が確実に予測され、かつ訴額が極めて少額の場合のみであり、それ以外の一般的な場合には、むしろこの制度こそが司法へのアクセスを阻害する要因となるのです。

3 医療過誤訴訟に対する影響
 厚労省は全国82の特定機能病院に医療事故の院内報告制度を義務づけていますが、この制度が創設された2000年4月から2002年2月までの22ヶ月間で、報告された事故は約1万5000件、そのうち患者に死亡・後遺症などの重篤な被害が発生した事故は387件とされています。
 日本の病院及び有床診療所を併せると約180万床のベッドがあり、そのうちこの特定機能病院は約7万床を占めるに過ぎません。このような割合から計算すると、患者に重篤な被害が発生した医療事故だけでも、年間5000件を軽く超えることになります。
 これは実際に報告された数字からの推計であって、報告されずに隠蔽された事案を含めるとさらに大きな数字になることは容易に想像できます。ニューヨーク州における医療事故調査(ハーバードスタディ)の結果から、日本の医療過誤による死亡者は年間3万人に及ぶとの推計もあります。
 これに対して、日本における医療過誤訴訟は、若干の増加傾向にあるとはいえ、現在でも年間800件程度に留まっています。圧倒的に多数の医療被害者は、訴訟による紛争解決という手段を選択していません。
 その最も大きな原因は、患者が医療過誤訴訟に勝訴することが困難であるからです。
 医療過誤訴訟には、診療行為が密室で行われる(密室性の壁)、被告の専門領域で戦わざるを得ない(専門性の壁)、医療界に相互批判を許さない体質がある(封建制の壁)という3つの壁があると言われており、この壁が患者側の勝訴を困難にしていると指摘されています。現実に、民事訴訟一般の原告勝訴率が約86%であるのに対し、医療過誤訴訟の原告(患者側)勝訴率は約28%に過ぎません。
 このような医療過誤訴訟の困難さから、多くの医療被害者は、訴訟提起を検討する以前に諦めているのが現状です。年間800件という提訴件数はその現れなのです。そして訴訟提起を望む医療被害者も、提訴にあたって、「勝訴判決を得ることができるかどうか」という問題に真剣に悩まなければなりません。提訴前に把握した情報では勝訴が予測されても、医療側から思いがけない反論が提出されて敗訴する可能性は常に存在し、しかも無視できないほどに大きいのです。
 したがって、医療被害者が提訴に踏み切る場合、敗訴した場合の不利益がどれほどのものであるかは非常に大きな問題になります。前述のとおり、現行制度では、弁護士に支払う着手金が無駄になるというのが敗訴の場合の不利益です。弁護士との間で、訴訟の見通しに関する話し合いや着手金額の交渉を重ねた上、その不利益を覚悟して提訴しているのが現在の医療過誤訴訟の原告です。不利益を怖れて提訴を断念するか、不利益を覚悟で提訴に踏み切るかは、多くの場合、ぎりぎりの決断になります。
 そして、医療における患者の権利は、不利益を覚悟で提訴に踏み切った、勇気ある医療被害者によって切り開かれてきました。例えば、今日においては常識的となったインフォームド・コンセントの理念も、幾多の敗訴判決を克服して認められるに至ったものです。今日、医療事故防止対策の必要性が叫ばれ、その取り組みが始まりつつあるのも、医療被害者の闘いあればこそなのです。
 しかし、弁護士報酬敗訴者負担制度の許では、敗訴の場合の不利益として相手方弁護士費用の負担が加わります。ただでさえぎりぎりの決断を迫られる医療被害者にとって、この不利益のリスクは極めて重大なものにならざるを得ません。医療過誤訴訟の原告勝訴率が約28%ですから、少なくとも残り約72%の医療被害者は、自分の負担した弁護士費用を回収できないばかりか、相手方医療機関の負担した弁護士費用の支払義務を負うことになるのです。
 このようなリスクを負担して医療過誤訴訟の提訴に踏み切れる医療被害者は稀と言わざるを得ません。多くの医療被害者は、弁護士報酬敗訴者負担制度導入によって提訴断念に追い込まれることになるでしょう。そして医療側は、患者側の提訴断念を期待して、訴訟前の和解による解決にも消極的になるでしょう。医療事故に対する責任追及の機会が激減することは、医療事故防止対策の軽視にも繋がることが予測されます。

4 弁護士報酬敗訴者負担制度問題の本質
 弁護士報酬敗訴者負担制度の原則的導入を唱えた前記中間報告に対し、大企業820社の法務担当者を構成員とする経営法友会は「濫訴の歯止めとして有効であり支持したい」、「(多様な紛争解決のメニューを揃えた上で)それでも裁判という形で権利の実現を図ろうとするならば、敗訴側が弁護士費用を含めて訴訟費用を負担するのが合理的である」との見解を発表しました。
 この見解は、弁護士報酬敗訴者負担制度の本質を、極めて明瞭に示しています。
 第一に、この経営法友会の見解は、弁護士報酬敗訴者負担制度が、決して国民の司法へのアクセスを促進する方向で機能するのではなく、「濫訴防止」という形で、即ちアクセスを阻害する方向で機能するものと理解しています。これが当然の理解であって、司法制度改革審議会の報告書に見られるような、弁護士報酬敗訴者負担制度制度が国民の司法へのアクセスを促進するかの如き言説は、何らかの勘違いか、あるいは本来の目的を隠すための、「ためにする議論」なのです。
 第二に、この見解は、弁護士報酬敗訴者負担制度導入論を支持しているのは、司法権を積極的に活用しようと考える側、即ち国民の裁判を受ける権利を充実させようと考える側ではなく、司法による規制を可能な限り回避したいと考える側であることを端的に示しています。つまり、結果的に勝訴できない訴訟を「濫訴」と位置付け、弁護士費用負担という不利益を負わせることにより、勝訴の見込みが不確実な訴訟提起を諦めさせようというのが、経営法友会等に代表される弁護士報酬敗訴者負担制度導入論支持者の狙いなのです。
 このような考え方が、日本国憲法32条の保障する「裁判を受ける権利」の趣旨に反すること、司法改革の目指す「国民が利用しやすい司法の実現」という理念に反すること、いずれも明らかではないでしょうか。
 勝訴の見込みが不確実な紛争において、当事者間に主張・立証を尽くさせた上で、法的判断を下すのが司法本来の役割であり、その判断を求める権利こそ「裁判を受ける権利」です。勝訴の見込みが不確実な事案について裁判を起こしにくくなることは、司法権からみれば機能の縮小であり、国民から見れば「裁判を受ける権利」の後退に他なりません。
 貴本部が、賢明かつ当然の判断を行い、弁護士報酬敗訴者負担制度導入の議論に終止符を打つことを願って止みません。

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