2013年01月17日
「死生学」入門講座においで下さい
市民大学 医療講座 死生学入門
2月23日(土)午後2時〜3時30分
講師 谷田憲俊さん
(内科医、前山口大学医学部教授、日本ホスピス・在宅ケア研究会理事)
「日本人の死生観の変遷を振り返る」
参加費 500円(資料代含む)
会場 天神ビル11階会議室 福岡市中央区天神2−12−1
「死生学」ということば、実は近頃よく耳にします。
文字どおり、死と生をめぐる学問。
最初に「死生学」という概念に出会ったのは、うんと昔、キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』がはやった頃でしょうか。
日頃、医療事故の相談を受け、さまざまな事件を扱う中で、たびたび死と生について考えさせられます。特に末期がんや再発がんなどのように、死に向き合わざるを得ない事案の場合、依頼者の生と死と、真摯に向き合わざるを得ないのはもちろんのこと、死を見つめながら、最後までいのちの光を輝かせて生きるためには、どうあるべきか、ということを考えさせられてしまうのです。
出会った事例の中には、ひとがそのひとらしく生きるために、関わった医療従事者がもっとうまくサポートできたのではないか、と、地団駄踏むような思いをするものがあります。正確な情報が提供されていないために、無用な焦りや、不安に駆られ、どうみても誤っているとしか思えない選択を強いられるひとがいます。
どうして。
どうして、ひとりの人が、その残された貴重な時の過ごし方を選択する、本当に大切な場面だというのに、往々にして、最善の選択をすることが困難になるのか。どうして、惑い、迷い、道を踏みあやまってしまうのか。
そう考えた時、ふと、私たちが、生の成り立ち、死のあり方について、あまりにも無知であることが、その原因の一端ではないかと思えてきました。
わたしたちは、必ず死を迎えます。遠い先か、ほんの目の前のことなのか、誰にも知ることはできません。けれど、必ず訪れ、私たちに終わりを告げる死。その死と生について、改めて向かい合い、じっくりと考えてみることが必要ではないか、そう思いました。
そこで、昨年11月から3回にわたる『死生学講座』を企画しました。
この企画はNPO法人患者の権利オンブズマン、医療事故防止・患者安全学会との共催になっています。第1回は、倫理学を専攻する作家の波多江伸子さんによる『笑う終活講座』。ともにがんで亡くなったご両親を看取り、自らも二度甲状腺がんを患った経験から、何人もの、死に直面したがん患者の伴走者として活動し、「がん・ばってん・元気隊」という患者サポート活動に従事されています。
自分の父親が末期の胃がんと分かり、息を引き取るまでの日々を、まさに家族の視線から撮影した砂田麻美監督の第1回監督作品『エンディング・ノート』の予告編や、昨年10月に死亡した流通ジャーナリスト金子哲雄さんが、自分の葬儀に用意した挨拶文(11月には死の直前に書き上げた『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』が出版されています)、周防正行監督の最新作『終の信託』など、取っつきやすい材料を示しての、分かりやすい、そしてそれぞれが自分の生活に引きつけて考えることのできる講座でした。参加されていた「終活」受講生(がん患者)の、「先生の講座を受けて、死ぬのがちょっと楽しみになってきました」という言葉がとても印象的でした。
12月1日には、在宅緩和ケアの草分けのひとりである医師の二ノ坂保喜さんによる『死を見つめて生きる〜在宅ホスピスの現場から』。この道に進むきっかけとなった書籍との出会いや、長年にわたる臨床実践を通じてのさまざまな経験を踏まえて、具体的な症例を紹介しながら、在宅で最後を迎えることは誰にでも可能なはずだという思いを込めてお話しいただきました。
そして、いよいよ第3回目、最後の講座が、2月23日土曜日午後2時、天神ビル11階の会議室で開催されます。内科医で山口大学医学部教授を務められた谷田憲俊さんによる『日本人の死生観の変遷を振り返る』。講座を締めくくるに相応しい、歴史的な経過を踏まえた、深い講座になりそうです。
ぜひぜひ、多くの方に足を運んでいただきたいと思います。
以下は、本入門講座のチラシの案内文です。昨年配布したものなので、東北大震災について「昨年」と表記されています。
だれもがいつかは死を迎えます。
昨年の東北大震災では、たくさんの方々が、いちどきに津波にのまれ、尊い命が奪われました。私たちは、想像を絶する数の死のしらせに身を震わせました。
けれど、私たちに「死」の姿は見えているでしょうか。
ひとが死にゆくとはどういう営みであり、やがて来る死を自分はどんな形で迎えたいのか。具体的にイメージできているでしょうか。
ほとんどの人が病院で死を迎える時代ですが、一方では在宅での看取りを進める動きもあります。このところ、終末期医療について、法制化をめぐる議論も盛んになっています。
死の在り方について、ちゃんと向き合って考えないということは、生についても正しく知らず、ひいては自分に対する医療の選択において、欠かすことのできない重要な要素を欠いているということにならないでしょうか。
むずかしい、深刻な問題ですが、まずはみんなで死と生を考えてみようよ、そんな気楽なイメージで、「死生学」入門講座を企画しました。
(久保井摂)
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