2011年07月25日

患者の権利と医療基本法


医療基本法を求める声の拡がり

 ハンセン病問題の検証会議の提言に基づく再発防止検討会(通称ロードマップ委員会)が、「患者の権利擁護を中心とした医療の基本法」を提言したこと(2009年4月)や、内閣府の安心社会実現会議の最終報告「安心と活力の日本へ」が、患者の自己決定権・最善の医療を受ける権利を規定する基本法の制定を、2年を目途に推進すると謳ったこと(同年6月)は、以前、このブログにも書きました。

 ロードマップ委員会の報告書は
  http://sociosys.mri.co.jp/hansen/hansen.html

 安心社会実現会議の報告書は
  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ansin_jitugen/index.html

からそれぞれアクセスすることができます。

 その後、医療基本法の制定を求める声は、医療界にも確実に拡がりつつあります。
 日本医師会医事法関係検討委員会は、2010年3月「『患者をめぐる法的諸問題』について〜医療基本法のあり方を中心として」を発表しました。
 日医白クマ通信(日医のオフィシャルサイトです)は、これを「医療基本法の制定を提言」と報じています。
  http://www.med.or.jp/shirokuma/no1264.html

 報告書そのものはこちら。
  http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20100317_2.pdf

 診療放射線技師及び診療エックス線技師によって構成される社団法人日本放射線技師会は、2011年度の開始にあたり、「真のチーム医療を目指すには現行の医師法、保健師・助産師・看護師法、薬剤師法、診療放射線技師法など全ての医療専門職の専門性を活用するために法律を改正することが必要であると思われる。そのためには日本国憲法の理念の下患者側の考え方、医療者側の考え方、その他のステークホルダー側の考え方を取り込みながら、21世紀社会にふさわしい『医療基本法』をつくることを視野に入れた活動が必要である」という考えを公表しました。
  http://www.jart.jp/message/201106.html

 全日本病院協会は、2011年6月、「病院のあり方に関する報告書2011年版」を発表しました、この報告書は、末尾に「医療基本法」という1章を設け、
 「医療提供者が改善しなければならないことはある。しかし、医療提供者の努力でできることには限界があるという事実を、国民にも知っていただかなければならない。/基本理念を明確にし、国民が求める医療がどこまでか、それにはどのような医療提供体制が必要か、その実現にはどれだけの金・人・ものが必要か、その費用の税金・医療保険・個人負担の割合をどうすべきか、という順番で考えなければならない。/医療基本法を医療界および有識者が共に検討し制定することを再度、提唱する」
としてます。
  http://www.ajha.or.jp/voice/arikata.html

 また、日本病院会も、その医療制度委員会において、医療基本法についての基本的な考え方を明確にするために問題点の検討を始めているようです。

 こういった医療基本法制定を求める声の拡がりは、現在の医療制度への危機感が、医療提供者側に深まっていることを示していると思われます。この危機感を、医療を受ける側と提供する側とが共有し、よりよい医療制度を創っていく契機とすることが、いま、求められています。


地域医療を守る条例

 ところで、このような国法レベルではなく、地方自治体レベルでも、注目すべき動きがみられます。

 奈良県は、2009年7月、「ならの地域医療を守り育てる条例」を制定しました。これを嚆矢として、同年9月には、宮崎県延岡市が「延岡市の地域医療を守る条例」を、2010年2月には、広島県尾道市が「尾道市の地域医療を守る条例」を制定しています。
 奈良県条例は
  http://www.pref.nara.jp/somu-so/jourei/reiki_honbun/ak40111981.html

 延岡市条例は
  http://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/contents/fukushi/chiikiiryou/chiikiiryou/jyourei.html

 尾道市の条例は
  http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/somu/file/h222/g71.pdf

で、それぞれご覧下さい。

 今日、地方の公立病院での医師確保の困難さはよく知られているところであり、これらの条例も、地域における医療供給体制をどう確保するかという真剣な問題意識に基づいて制定されたものだろうと思います。
 しかし、これらの条例は、「患者の権利」、すなわち、医療を受ける側の権利については全く触れない一方、「市民の責務」、つまり医療を受ける側の責務はしっかりと謳われているという点で、極めて特徴的です。
 3つの条例に共通するのは、「病気の予防及び治療に対する正しい知識を持ち、自らの健康の保持増進に努めるものとする」といったものですが、延岡市及び尾道市は、「主治医(かかりつけ医)をもつこと」及び「主治医を診療時間内に受診し、安易な夜間及び休日の受診を控えること」といった努力規定を置いています。延岡市の場合には、さらに、「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手が市民の命と健康を守る立場にあることを理解し、信頼と感謝の気持ちをもって受診すること」といった条項まであります。
 確かに、診察時間内に受診できるのに、敢えて夜間や休日に受診するようなことはすべきではありません。しかし、夜間や休日に十分な治療を受けられないで亡くなっていった事例をいくつも知っている私たちとしては、必要な受診を遠慮して手遅れになるようなことがないかと心配になります。
 また、「患者の権利」が、メディカル・パターナリズムとの闘いのなかで前進してきたものであることを思うとき、患者に対して「信頼と感謝の気持ちをもって受診すること」を求める条文には、どうしても違和感を覚えます。もちろん、医師と患者との間の信頼関係は重要です。しかし、患者側がインフォームド・コンセントの重要性やカルテ開示の法制化を主張し始めた頃、それを拒む医療側の主張は、「インフォームド・コンセントは医師・患者間の信頼関係を阻害する」、「医者を信頼できないような患者はお断りだ」といったものだったのです。「信頼関係」が、患者の権利を抑えつけるドグマとして働いていたのは、それほど昔のことではありません。


医療制度の基本理念は何か

 医療は、病気や障害のために、医療を必要としている人のためにあります。医療を必要とする人が、必要な医療を受けられるように、医療制度はあります。また、その医療は、決して患者の尊厳を脅かすようなものであってはなりません。つまり、医療制度の基本理念は、患者の最善の医療を受ける権利と自己決定権を実現し、擁護するところにあるはずです。
 ロードマップ委員会が提唱するとおり、医療基本法は「患者の権利擁護を中心とする」ものであるべきであり、決して、患者の権利抜きに責務のみ規定するようなものであってはなりません。
 今後、医療基本法の議論の中で、患者の権利をどう位置付けるかは大きな論点になる可能性があります。例えば、日本医師会「『患者をめぐる法的諸問題』について〜医療基本法のあり方を中心として」は次のように述べます。

 「既にみたように、近年におけるこの点(医療基本法)についての議論は、もともと患者の権利法制定に関する問題意識から発展してきたという経緯があり、医療基本法の内容を議論する場合においても、関係者の認識に差異が生じていないとは言い切れない面がある。したがって、医療基本法の性格や位置づけをどのようなものとすべきか、その方向性や内容、めざすべき医療の理念は何か、といった点について、まずは医療における専門家の中で議論を尽くし、一定の見解をもったうえで、広く国民的な議論の場を設けて、確定していく作業が不可欠である」

 もちろん、専門家の中で、めざすべき医療の理念は何かについての議論をすることは重要なのですが、それを専門家の中だけでやっていたのでは、患者の権利、という重要な視点が抜け落ちてしまうことが懸念されます。地域医療を守る条例であればまだしも、患者の責務が一方的に規定されるような「医療基本法」が国民に支持されるはずはありませんし、それによって医療への信頼が回復することもないでしょう。もちろん、医療に対する公的支出を拡大する根拠にもなり得ません。そんな「医療基本法」は。医療に対する国家統制を強める道具として働くだけです。


患者の権利擁護を中心とした医療の基本法を!

 私たち九州・山口医療問題研究会が「患者の権利法」の制定を提唱したのは1989年のことであり、患者の権利法をつくる会が結成されて今年の秋で満20年になります。この間、インフォームド・コンセントの普及、カルテ開示の制度化、医療安全施策の実現など、さまざまな分野で患者の権利は前進してきました。
 医療制度に対する危機感が深まり、医療提供者側から「医療基本法」の必要性が叫ばれている状況には、明らかに患者の権利の危機が含まれています。その一方で、医療を受ける側と提供する側が、医療の基本理念についてじっくり議論を交わし、よりよい医療制度を創っていく大きなチャンスでもあるのです。私たちは、いま改めて患者の権利の重要性を主張し、患者の権利を包括的に規定する基本法の制定を求めていく必要があります。

 日本弁護士連合会は、今年10月6日に香川で開催される第54回日弁連人権擁護大会においてシンポジウム「患者の権利法制定を求めて〜いのちと人間の尊厳を守る医療のために」を開催します。
  http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/event/gyouji_jinken2011.html

 人権擁護大会では、2008年に採択した「安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言」に続き、「患者の権利に関する法律の制定を求める決議」が採択される予定です。

 福岡県弁護士会も、人権擁護大会プレシンポとして、「患者の権利の法制化を目指して〜幸せを支えることのできる医療のあり方を考える」を開催します。

   日時 9月10日(土)13時30分〜17時
   場所 ガスホール(福岡市博多区千代1−17−1パピヨン24内)
   http://www.papillon24.jp/gas_hall/index.html

 また、患者の権利法をつくる会は、現在、「医療基本法要綱案」の策定作業を進めており、10月22日(土)に東京の明治大学駿河台キャンパス1011教室で開催される結成20周年記念シンポジウム「(仮称)みんなの医療基本法」での発表を目指しています。
  http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html


 筆者である不肖小林は、以上3つのイベントにいずれもパネリストとして登壇する予定となっておりますが(^_^;)、それはともかく、この秋は、是非、患者の権利と医療基本法をめぐる動きにご注目いただきたくお願いする次第です。

(小林洋二)
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