2013年06月06日

先達のあゆみをあすにつなぐために


 九州・山口医療問題研究会は、1980年、当時の若手弁護士の呼びかけにより結成されました。呼びかけ人の中心にいたのが、昨年12月1日に66歳で亡くなった池永満弁護士です。

 医療問題研究会は、かつて活動報告集「医療に心と人権を」を不定期に発行していました。1981年に発行されたその第1集に、池永弁護士は次のように書いています。


 いま医療事故における責任追及が、「病める医療」に人間性のひかりを照らす重大な道義的役割をも果たしつつあると感ずるのは私だけだろうか。

 医療事故における責任追及は「保身医療」を生むとの見解もあるが、むしろ医療過誤訴訟の前進が、人間の生命を扱う者としての「道義心」や医療事故における原因究明や相互批判等の「科学的良心」など、本来医師や医療機関が有すべき当然の「倫理」の不存在を鋭くえがきだし、医療界内部における「医の倫理」の確立への気運を高める積極的要因となっているのが現実ではないだろうか。

 ところで「医の倫理」は単に「心」だけの問題ではない。私は、先日医学部の学生達と話をしているうちに一つのことに気がついた。医療の荒廃をなげいているかたわら、治療における医師の自由裁量論を当然の前提、「聖域」としていることである。病気と闘うのは患者自身であって、患者の主体性なしに治療は効果をあげえない。医療は本来患者自身のためにあるし、どのような医療を受けるかは患者自身が決定すべきことである。患者を単なる「対象物」とする「医療」は真の医療ではない。



 今読み返しても、全く古びていない言葉の力強さに、改めて驚かされます。

 同じ頃、全国各地で同様の動きがあり、いくつかの医療問題弁護団が立ち上がっていますが、あえて「弁護団」と名乗らず、「研究会」とした理由について、池永弁護士は、医療をよいものにしていくためには医療関係者自らがその活動に加わらなければならないのだから、医療関係者もともに参加する活動とするために、そうしたのだ、と語っています。

 医師や薬剤師など医療関係者もまた正会員として参加しているのが、九州・山口医療問題研究会の際だった特徴のひとつであり、そういう組織であり得たのは、会が、単に医療過誤訴訟における患者側代理人としてのスキルアップにとどまらず、当初から医療は患者中心であるべきこと、患者を主体としての医療を確立することによってこそ、患者にとっての安全な医療、医療従事者としても理想とすべき医療は可能になるという理念を、医療従事者と共有することからスタートしたからだと言えます。


 九州・山口医療問題研究会は、まさに池永弁護士が生みの親であり、各役職の役割付けも池永弁護士のアイデアを引き継いで今に至ります。医療関係者事務局という組織やその構成メンバーも、多くは、池永弁護士が、その学生時代から連綿と続けてきた活動を通じて獲得した人的資源からなっています。設立から30年以上を経、それぞれが30年以上の年を重ねています。この先、持続的な活動が可能であるためには、より若い層の成長が必要です。


 6月2日、福岡市内のホテルで、「池永満さんを偲び『新・患者の権利』の出版を祝う会」が開催され、200名を超える方々が集い、彼の功績を振り返りました。最初に彼の足跡をたどるスライドを上映した後、第1部として、高校時代の同級生、大学時代運動をともにした友人による人となり、第2部として、まちづくり条例運動などの市民運動や弁護士会活動における活動の特徴、第3部として、患者の権利運動について、それぞれ縁の深い人が語るシンポジウムの構成で、各人が自分の知る池永弁護士について語りました。

 この日の参加者には、出版されたばかりの『新・患者の権利』が贈呈されました。

 『患者の権利』の初版は、1994年に出版されました。
 
 それまで「医療に心と人権を」をはじめ、様々なメディアに寄稿した患者の権利に関する論考をまとめ、新たに書き起こして1冊としたものでした。その後1997年に増補改訂版を出したものの、2年間の英国留学を経て帰国した翌年の1999年、患者の権利オンブズマンを立ち上げ、その理事長としてのみならず、相変わらず広い視野を持って幅広く活躍していた池永弁護士でしたが、2009年、福岡県弁護士会会長を務めていたさなか、悪性リンパ腫との診断を受けます。しかし、そのことを妻でありベストフレンドである早苗さん以外の誰にも知らせず、また副作用が多く、活動の妨げとなる化学療法は拒否し、食事療法に努めながら、弁護士会活動を精力的にこなしました。

 会長職を全うした後、拠点をふるさとの直方市に移して、仕事のペースを緩めることなく活動していましたが、心筋梗塞、胃がん、肝細胞がん、その肺転移、小脳転移と、次々に大変な病に襲われました。

 なんといっても彼のみごとだったところは、かかる中でも決して希望を失わず、常に先を見て、新たな課題を設定し、それに向かって邁進していったことです。緩和ケアに関するオンブズマンの調査報告書をまとめあげ、直方駅舎の保存運動を立ち上げ、原発再稼働差し止め訴訟でも中心を担う…、客観的には「治癒不能ながん」と診断されたひとがやったこととはとても信じられないほどの活躍ぶりでした。


 池永弁護士は、昨年2月の講演を最後に、表向きの仕事からは手を引き、『新・患者の権利』の執筆に集中します。最後は病院で過ごすことになりましたが、ノートパソコンと原稿を片時も手放さず、ときには病室で徹夜を重ねて、一通りの原稿を書き終えたのち、12月1日に旅立っていきました。

 その『新・患者の権利』、妻の早苗さんが彼の遺志を継いで校正にあたり、このたびの出版にこぎ着けました。池永弁護士による序文やあとがきには、彼がこの出版にこだわり、自分の病勢がどうなろうとも、必ず発行しなければならないと考えた思いについても書かれています。


 本書は、その目次を見ていただければ一目瞭然のことではありますが、この30年にわたり日本の患者の権利運動に携わってきた皆さんが、共に汗を流してきた成果を集約しようとしたものであって、私もその一員として活動してきたにすぎませんが、事務局的な役割が与えられてきた者の責任上、私の名前で出版することにしたものです。だからこそ、私は本書をこれまで全国で患者の権利運動を担ってきた者の共通の思いを次の世代に伝えるバトンとして綴ることができたものです。



 自分が弁護士人生を賭して関わり、大きな前進を獲得してきた患者の権利運動のバトンを、次世代に引き継ぐ、そのための道しるべとして、文字通り命を削るようにして仕上げたのでした。

 その池永弁護士から、手渡されたバトンの重みをかみしめながら、これからの活動にあたっていきたいと思います。そのあゆみを明日につなぐために。

(久保井 摂)
posted by 管理人 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他